多摩川河口0.0Kmポイントへの旅~1
世田谷川下り三部作、最終章「多摩川河口0.0Kmポイントへの旅」の始まりです。
世田谷の川にこだわった庵魚堂さんのサイトに触発されて北沢川・烏山川をたどってから「目黒川河口への旅」、それに続き、会社の昼休みの散歩道である「呑川源流から河口への旅」をアップしてきましたが、いよいよ横綱格の多摩川の登場です。
前2章に比べて、多摩川は日陰がまったくないことが予想されますので、涼しくなった2006年10月22日に敢行。仕上げは食塩泉の温泉までついた楽しいマラニックのフルコースでした。
スタートは小田急線「和泉多摩川」駅。新しくなった駅前のロータリーを右に行けば、世田谷通りの多摩川水道橋の橋詰です。この橋の東詰には東屋もあり、サイクリストの人達がよく一息いれています。この橋の昔の姿を伝えるレリーフもあります。さあ、ここから河口までの旅の始まりです。
堤防上を進むと小田急の鉄橋の手前すぐのところに「河口まで23Km」の標識。途中何ヶ所か未確認のところもありますが、この標識が河口まで導いてくれます。0.2Kmごとの古いコンクリートの標識もところどころにあり、元気付けてくれます。はるか彼方の海を思い浮かべて走り始めましょう。
対岸の登戸は津久井往還(今の世田谷通り)と府中街道が交わる交通の要所として栄えた街ですが、この23Kmポイントのあたりに「登戸の渡し」があったようです。
穏やかな多摩川ですが、いったん大雨になると自然の脅威を私たちに見せ付けるのは治山・河川改修の進んだ今でも同じ。小田急の鉄橋を抜けたところの河川敷広場に「多摩川決壊の碑」があります。この旅の最初に それを実感しておくと、下流域の堤防や神社・仏閣の祈りがより身近にせまってきます。私も、いとも簡単にマイホームが濁流に飲み込まれていくTVニュースの映像がいまだに鮮明に記憶に残っています。
しばらく行くと河川敷の自動車教習所。22Kmポイントです。ちょっと先には、手付かずの河畔の自然を残そうという「狛江水辺の学校」があり、定期的に自然観察会や保護活動が行われています。ちょっと細道を入り込むだけで、堤防上からの眺めと違った面を多摩川は見せてくれます。
21Kmポイントのそばにはちょっと変わった駐車場。ナンバープレートのないパトカーや救急車、果ては軍用車や昔懐かしいボンネットバスやアメリカンスクールのスクールバスなどなど。これらはすべて映画やTVの撮影用の車です。東宝の撮影所が近くにあることから、世田谷西部にはこのような業界関係の会社がいくつもあります。
東名高速の橋をくぐり抜けると、白バイの練習所。以前たまたま白バイ警 官の競技会をここで見たことがありますが、やはりウマイ。20Kmポイントのあたりは昔の「宇奈根の渡し」があったところです。近くには「渡し道」と呼ばれる道が残っています。実は、対岸の川崎側にも宇奈根という地名があります。もともとはひとつの村でしたが、多摩川の流路が変わり、村を分断してしまいました。それを結ぶためにつくられたのが宇奈根の渡しです。
箱根駅伝常連の駒沢大学のグランドの過ぎると19Kmポイントです。赤い三角屋根が印象的ですが、これは砧下浄水場の施設です。多摩川河川敷の伏流水を汲み上げて浄水し、野川水道橋や岡本随道を通り、用賀を抜けて、駒沢給水所を経て渋谷地区を潤している水道です。取水場所の標識が河川敷にあります。ですから、トイレに行きたくなっても...ダメですよ(^-^;
さて、そのまま堤防上を走りたいのですが、現在、野川の河川改修中でそのまま行くことはできません。そこで、河川敷の運動公園の中をサイクリングロードを走ることになります。走り始めて5Kmくらいの地点です。ところどころに水道もありますので、水分補給をしておきましょう。18Kmポイントはそういうことで確認していません。
(2007年7月に18Kmポイントを取材してきました。246号の高架を抜けた多摩堤通り沿いの堤防の上にあります。堤防の内側にもマンションが建ち並び、川面はまったく見えません)
二子橋の下では、ちょうど「世田谷ジョギング大会」が開かれていて、準備体操をしていました。今年は世田谷246ハーフがあるため、健康ジョギングはこちら、ちょっとガンガンに走るのは246ハーフと分割したようです。
二子橋を抜けると兵庫島。ちょっと怖い言い伝えがあり、傷だらけ武士の幽霊を見たという人もいるくらいです。帰宅ランで夜、この辺りを通るのはできれば避けたいという私です。この辺りは玉電のおかげで、昔は東京都民の一大観光地として賑わっていたということです。そんな昭和三十年代の風景はこちら。
この兵庫島には放浪と酒好きの歌人、若山牧水の歌碑があります。
多摩川の 砂にたんぽぽ 咲くころは
われにもおもふ 人のあれかし
彼は、 脚気の療養のために瀬田で明治37年(1904)の8月から9月に掛けて滞在しています。当時19才の彼の日記によれば、瀬田のある旧家の「もよ」と云う年上のお嬢さんと熱愛して、ふたりは瀬田の辺りや多摩川のほとりを散歩していたそうです(「てくたくぶっく 兵庫島コース」より)。
ここ兵庫島、田園都市線鉄橋付近で野川が多摩川に合流します。23区内は「三面コンクリート直角護岸」に下水処理水が流れる川が多いのですが、野川は国分寺崖線の湧水を集めて流れる貴重な都市河川です。カルガモや白鷺、アヒルにカメ、さらにはカワセミ、果てはウマ、カルガモおとーさんにまで出会うことができる川です(^-^)
野川に架かる橋を渡り、川に沿って二子橋、東急田園都市線鉄橋をくぐり、ちょっと行った左手、玉川福祉作業所の前に「二子の渡し跡」のてくたく石碑(「てくたく」についてはこちらをご覧ください)があります。大正14年(1925)7月に二子橋が完成するまでは人や荷車、馬までも運んでいたそうです。
この辺りでは多摩川の堤防は100mほど奥にあります。その昔、堤防を作り変えるときに、目の前に堤防ができて川が見えなくなっては商売上がったりだということで川端の料亭が反対して、料亭街を取り残す形で堤防が作られたためだそうです。ですから、ところどころ堤防が切り取られ、普段はその切通しを人や車が通れるようになっています。両側はレンガでしっかりつくってあり、洪水の時には仕切り板をはめ込み、水が流れ込まないようにするそうです。
さて、河川敷のオープンカフェでビールやスパークリングワインを傾けるカップルを尻目に先に進みましょう(^-^;
人家がなくなり堤防が多摩川に近づいてきます。堤防の上に登ると大きな空き地が見えます。昔の二子玉川園、その後のナムコワンダーエッグ、いぬたま、ねこたま、たまいたちの跡 地です。ここもタワー型マンションを擁する大規模開発が着工予定で、
17Kmポイントの風景もがらっと変わったものになるでしょう。
さて、第三京浜の手前に自動車教習所がありますが、この辺り一帯は昔の多摩川の氾濫原で旧河道が明神池という池となって残っていました。その後埋め立てられましたが、バス停にその名前が残っています。暴れ川多摩川の痕跡はこんなところにも残っています。
第三京浜の下をくぐると16Kmポイントはすぐそこです。
<「総集編」>
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コメント
いやあ、楽しみな川下りが始まりました。
それにしても、牧水は瀬田にも出現していたとは。
投稿: moai | 2006年10月28日 (土) 06時36分
河口にたどり着くまでにどれだけかかることか(^-^;
気長に待ってやってください。
書きたいこといっぱいあって、どれを落とすかに苦労しそうです。
ところで牧水って43歳で亡くなっているんですね。
投稿: 野川のカルガモおとーさん | 2006年10月28日 (土) 21時44分