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2006年11月

2006年11月28日 (火)

献血手帳→献血カード

ここ数ヶ月、トレーニングで月間300Kmをこなしてきたのですが、ここに来て足の指をひどく捻挫してしまい、11月はピンチです。6日間まったく走っていません。痛みがひかないので、心配になり会社を半休にして整形外科に行ってきました。
幸い骨には異常がないということで一安心ですが、しばらく静養が必要のようです。

ということで、どうせ走れないなら、ということで久々に献血をしてきました。献血ルームの快適さは以前にこのブログでもアップしたことがありますが、今回はまたびっくり。献血手帳がカードに変わっていたのです。

10月から変わったばかりだそうですが、表面はいままでの手帳と同じデザイン、裏面には直近の献血履歴と次回献血可能日が印字されていて、1回1回新しいカードと交換になるようです。磁気に献血者Noなどが暗号化されて記録されており、受付で登録しておいた暗証番号を打ち込むと、OCR用紙にデータがプリントアウトされて出てくるようになっています。その紙がカルテのようになり、最後の採血のところまで持ち歩きます。

手帳を見ていつどこで献血したんだなあと思い出すことができなくなって、ちょっと淋しい気もします。「献血しよう」と思うときって、結構いろいろなきっかけがあったりするもので、献血した日・場所のリストを見るだけでも、そのときのそんな気持ちを思い出し、今の自分を見つめなおすきっかけになったりするものですから...

ともかく、私の定期入れには今日から新しい「献血カード」が入っています。

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2006年11月25日 (土)

多摩川河口0.0Kmポイントへの旅~総集編

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世田谷を流れる川の河口までの旅 三部作 「烏山川・北沢川から目黒川」、「呑川」に続く完結編「多摩川」です。

今まで4回に分けてアップしてきた「多摩川河口0.0Kmポイントへの旅」へのリンクをまとめました。河口から23Kmポイントの小田急の登戸鉄橋から飛行機が飛び交う0.0Kmポイントまで水の旅を追うレポートです。

ここまでまとめたら、今度は上流に向かってみたくなりました(^-^)
トレーニングでは府中の関戸橋まではよく行きますし、マラソンのトレーニングで日野橋まで何度か走ったこともあります。さらに遡り、多摩川源流の「水干」までマラニックができないかと考えています。それこそ、いつになったらレポートできることやら(^-^;

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0.0Kmポイントからの風景。うっすらと東京湾横断道路の「風の塔」が見えます。

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2006年11月19日 (日)

多摩川河口0.0Kmポイントへの旅~最終回

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Dscf1490河口から6Kmの六郷大橋を過ぎると多摩川はすっかり海の香りを漂わせています。多摩川河口への旅も最終章です。 昔はこんな木の橋だった六郷大橋を通り過ぎると、久々に有料給水ポイントがあります。多摩川下流では唯一と言っていいような川沿いのコンビニです。水分だけでなく昼食も調達できます。非常に貴重です。

Dscf1491 しばらく行くと5Kmポイントがあります。実はこのポイント、対岸に必見スポットがあります。それが河港水門です。ちょっと見は、単なる水門なんですが、よ~く目を凝らしてみるといろんな飾りがついてそうでDscf14922 す。これは、川崎市の名産だった桃・梨・葡萄をアレンジした飾りだそうです。1998年(平成10)年9月に国の有形文化財にも指定されています。この水門をめぐる"幻の大運河計画"についてはリンクをご覧ください。そして、さらに興味を持った方は実際にこの水門を造ってみましょう(^-^)

Dscf1495 Dscf1494 4Kmポイントの手前には六郷水門があります。この「郷」のマークがなんとなくレトロです。実はこの水門は、六郷用水の排水口に位置します。この旅のスタート地点である和泉多摩川の2Km上流から取水された次太夫堀(六郷用水)が、田畑の灌漑をしながら、流域の雑排水を多摩川へ排出する役目を負って多摩川に再び流れ入るポイントだったのです。

Dscf1497 4Kmポイントからは干潟が見えます。多摩川は、もうすっかり海の表情です。汽水域といって海水と淡水の入り混じる水域ならではの生態系が発達しています。河川敷から干潟のすぐそばまで近づくことができます。すると、たくさんいる!いる!カニです。人影が見えるとサッサッと穴に隠れてしまいますが、しばらくじっとしていると1匹2匹と出てきます。

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Dscf1504 Dscf1505 3Kmポイント手前から土の土手堤防からコンクリート護岸に変わります。ちょっと川面が見えにくくなります。3Kmポイントは大師橋を望むコンクリート堤防に埋め込まれています。河岸には、ヨシが生い茂り、ヨシキリなどの住処となっています。


Dscf1507 Dscf1508_1 河口まで2.5Km地点に架かるのが羽田と川崎大師を結ぶ大師橋。その昔は羽田の渡しがあったところです。先代の大師橋は片側2車線だったのですが、老朽化と交通量の増大に耐え切れず、昨年、現在の新しい橋にバトンタッチしました。斜張橋の美しい橋です。橋のたもとには羽田の渡しの由来と先代の橋の親柱が残されています。多摩川の最も下流にある渡しとして、かなり栄えたようで、相当大きな船で20~30人の人が乗れたということです。川崎大師詣での人達も多かったのでしょう。

Dscf1509 さあ、これより下流には多摩川を渡る橋はありません(地下をもぐっている路はあるんですが...)。いよいよ河口が迫ってきました。大師橋を過ぎると2Kmポイントはすぐです(でも、大師橋の河口寄りの船溜りの堤防の赤レンガは要チェック!)。2Kmポイントも3Kmと同じくコンクリート堤防に埋め込まれています。

Dscf1510 ここでは、下流域唯一と言ってもいい中州が見えます。ねずみがいっぱい繁殖したからねずみ島、と実に安直なネーミングではありますが、実はこのねずみ島、もとは梨畑(河港水門の飾りでわかりますよね。昔の川崎名産です)だったということです。この土地が、なぜに中州として残ったのかというと深~い訳があります。その訳を知りたい方はこちらをご覧ください

Dscf1511 ここから河口方面をみると、「来たなあ」という感慨に浸ることができます。川幅は広く、遠くに羽田空港に羽田空港に飛来する飛行機の姿も見えます。目指す0.0Kmポイントは赤白のツートンカラーも鮮やかな空港レーダー塔の500mほど先です。登戸の渡しから20Km以上走ってきた小旅行ももうすぐ終着です。

Dscf1512 2Kmポイントをちょっと行くと羽田玉川弁財天があります。この弁天様は、もともと鈴木新田(今の羽田空港)に鎮座されていたのですが、進駐軍の接収によりこの地に引っ越してこられたものだそうです。「羽田七福いなり巡り」の別格として列せられています。この「羽田七福いなり巡り」ですが、「白魚稲荷」やら「鴎稲荷」やら思わず訪ねてみたくなるような名前のお稲荷さんがあります。のんびりと昔の江戸前漁村の羽田を思い浮かべながら歩いてみてもいいかもしれません。

Dscf1515 ここでもうひとつ見ておきたいのが、堤防下の道の家の塀。塀といってもなんか違う。これこそ昭和初期の多摩川の堤防の名残なのです。六郷橋のDscf1514 船溜りの赤レンガまでこの堤防が続いてさらに上流部まで残っているのです。閘門(堤防の切れ目:増水時には板をはめる)もしっかり残っているし、ところどころに階段も残っているのがいかにも堤防です。昔の景色が目に浮かぶようです。

Dscf1516 もう少しいくと、フツーの人が多摩川の区切りと思っている弁天橋にでます。多摩川の分流である海老取川に架かるDscf1520この橋を渡れば、もう人家はありません。あるのは「羽田空港」だけ。確かに分流点には水死して流れ着いた人々の慰霊の社も建立されており、行き着くとこまで来た!という感じです(なんか心霊スポットっぽい)。でも、ここはまだ河口ではありません。多摩川河口から1.5Km地点なのです。

Dscf1521 この地点は、もうひとつ意外なポイントでもあります。多摩川を渡る橋は、先ほどの大師橋が最後ですが、下をくぐるトンネルはあります。実は、この下を鉄道が走っているのです。JRの貨物線の羽田トンネルです。さらに下流に行けば、首都高湾岸線の海底トンネルがあります。

Dscf1522 さて、新しくなった弁天橋を渡りましょう。欄干に江戸前海苔の作り方がレリーフになっていますので必見です。渡ったところには、有名な(?)赤鳥居があります。もともと空港が拡張される前から羽田にあった穴守稲荷神社の鳥居だったのですが、進駐軍にこの一帯が接収され、神社は現在の位置に引っ越したあと、この鳥居だけが取り残されました。その後、動かすと祟りがあDscf1537るといわれ、羽田空港の駐車場の真ん中に建ち続けていた姿を覚えていらっしゃる方もいると思います。羽田拡張に伴い、ここに移設されたそうですが、「祟り」があるんじゃないかと工事の引き受け手がなかったようです。その工事に取り組んだゼネコンのプロジェクトX (^-^; はこちらをご覧ください

Dscf1538 今は、人の生活の匂いがまったくない羽田ですが、進駐軍に接収される前には鈴木新田と呼ばれた埋立地でした。 空港ができる前の鈴木新田は、夏は海水浴場、春は潮干狩りで賑わい、明治29年には鉱泉が発見され、穴守神社一帯は歓楽街として発展したそうです。とても今の風景からは想像できませんが、接収される前の集落の様子が鳥居のそばに張り出されています。確かにそこには人々の生活がありました。

Dscf1539 普通の方はここで引き返すのですが、0.0Kmポイントを目指して走りましょう。空港へ向かうトンネルをくぐります。トンネルをくぐると、モノレールも地上にでてきます。この辺りが1Kmポイントなのですが、道は河岸から少々離れているので標柱があるのかどうか確認していません。

Dscf1534 先ほどはるか彼方に見えた赤白の空港レーダー塔が近づいてきます。行き交う車は多いのですが、こんなところを歩いている人はまったくいませDscf1530 ん。少々心配になりますが、意を決して進みましょう。レーダー塔を過ぎると道路と河岸の間がコンクリートの広場のようになっています。ここから河岸の低い堤防に沿って走ります。いよいよです。

対岸の日鉄鋼管の建物の手前の河口(実は多摩運河)が真正面に来るような位置を目安に走っていくと、堤防にペンキで描かれた赤・黄の線が目に入ります。その線が描かれてある堤防の上面を見ると....
(下の写真をクリックしてください)
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ついに到着しました! (旧)建設省公認の0.0Km地点です。
今までの標柱から比べるとなんとも工事の目印のようなペンキの印で拍子抜けしてしまいますが、確かに「0.0Km」の文字!

右岸も左岸も埋め立てが進み、ここが河口? と思われるかもしれませんが、こちらの報告書をご覧ください。昔の多摩川の航空写真が豊富にあり、確かにここが河口だったということがよくわかります。対岸の多摩運河が海と川の境目のなごりです。

Dscf1526 Dscf1531確かに、遠くに東京湾横断トンネルの「風の塔」も望む芒洋としたこの景色をみると河口まで来たんだなあと感じます。
側を走るモノレールと遠くを進むコンテナ船、舞い降りる飛行機...日常とは違う世界が広がっています。走り始めた小田急鉄橋では、瀬となって流れていた多摩川も、ここでは東京湾に注ぐゆったりとした大河の趣です。23Kmにおよぶ多摩川河口0.0Kmポイントへの旅も終着です。

しかし、ここからどうやって帰るかって? こんなところで誰が乗り降りするのかというバス停がそばにありますので、それを使っても良いのですが、もうひと頑張りすれば天然温泉の銭湯が、大師橋を渡った対岸の川崎側にあります。川崎大師の裏手のほうにある「日の出おふろセンター」です。0.0Kmポイントから4Km弱ですが、淡黄色微濁の食塩泉の露天風呂があり朝9時からやっています。おふろセンター近くからは、川崎駅に頻繁にバスが出ています。

一日かけてのんびりと走るにはよいコースです。トイレや水場は河川敷のグランド用のものが頻繁にありますので安心です。ただし、夏場に走ると日陰がまったくありませんので、脱水症、熱中症には注意が必要。ぜひ一度、0.0Kmポイントを実際に見に行ってみてください。

ちなみに、この0.0Kmポイントの先に「-0.2Km」や「-0.4Km」ポイントもあるんです。
ぜひ忘れずにご覧ください。

「総集編」

23~17Km><16~12Km><11~6Km><5~0.0Km>

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2006年11月16日 (木)

復活しました

しばらくブログの書き込みをしていませんでしたが、いよいよ復活します。

ADSLのキャリアを変更したのですが、その手続き・工事の関係で2週間程度、昔懐かしいダイヤルアップになってしまい、メールチェックしかしていませんでした。さすがに、流行の技術を多用したサイトや画像の多いブログなどかったるくて&電話代が怖くて(^-^; 見る気が起きませんでした。やっと、安く&ちょっと速くなりました。画像の表示は明らかに違いますね。

これから、またいろいろと思いつくがままに、なんの脈絡もなく、とはいうもののランニング中心に書き込んでいきますので、よろしくお願いします。

ということで、復活第一号はめでたく富士山です(^-^)

昔の成城学園前の駅の跨線橋から見える富士山がきれいで通勤時の楽しみのひとつだったのですが、ご存知とおり複々線化&駅ビル化でしばらく淋しい思いをしていました。しかし、西口が新しくできたおかげで素晴らしい富士山展望の駅になりました。

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Dscf1583 ここ3日間、朝の富士山がきれいでした。
しかし、会社に急ぐ人達は富士山に背中を向けて改札口に急いでいます。大声で「富士山がきれいだよ~、今日もいいことありますよ~」と呼びかけたくなりました。

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2006年11月 4日 (土)

多摩川河口0.0Kmポイントへの旅~3

多摩川河口0.0Kmポイントへの旅も後半に入りました。新幹線の鉄橋を過ぎると、川幅を見ても海が近づいてきたと感じます。

(コース全体図)     (前半拡大図)    (後半拡大図)
Tamariversall Tamarivers1 Tamarivers2_1

この辺りから堤防に沿ってマンションが建ち並び、今までとは趣が違ってきます。車道が堤防のそばを通っていないので落ち着いた感じですね。

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ところが、走る身にとってはこれは重大問題で、新幹線鉄橋までは堤防沿いにちょこちょこと自動販売機があるのですが、マンション群のため自動販売機が見当たりません。六郷橋たもとのコンビニまで自販機給水ができません。暑い日には丸子橋あたりでペットボトルを買っておくことをオススメします。

Dscf1464_1 Dscf1466 ガス橋の手前400mくらいのところに11Kmポイントがあります。このガス橋、もともとは昭和6年(1931)に瓦斯人道橋として開通したそうで、ちょうど野川人道橋の大型版のような橋だったのでしょう。平行して「平間の渡し」も残っていたそうです。

Dscf1467 キャノンのビルの大きさに圧倒されながらガス橋(ところで、ガス橋の道路標識のローマ字表記は「GASUBASHI」...まっ、それもいっか(^-^; )を通り過ぎて500mほど行くと10Kmポイントです。このあたりはスーパー堤防と呼ばれる幅の広い堤防で道幅も広く走りやすいです。世田谷・狛江のあたりだとスポーツタイプのかっとび自転車にぶつかりそうで怖いのですが、この辺りではずいぶん気が楽です。それだけに逆に注意しないと思わぬ事故につながりますので注意! いよいよカウントダウンは一桁に突入します。

Dscf1468 Dscf1469 9Kmポイントは、第二京浜の多摩川大橋の手前300mほどのところです。川幅や河川敷も広く、両側の崖線もなくなることから、風景が広く大きくなり気分的にも距離の進みが速くなります。昭和13年(1938)に着工し17年に下部工事が完成したものの、戦争により中断、昭和244年(1949)開通したそうです。

Dscf1472 Dscf1471 8Kmポイントのあたりは、私が多摩川下流域では一番好きなところです。大きくゆったりとした蛇行がとても大きな気分にさせてくれます。この辺りの対岸は川崎競馬の練習場となっています。でも、お馬さんの練習は明けきらない早朝ですので目を凝らしてもお馬さんは見れません。

Dscf1473 7Kmポイントは、いままで堤防沿いだった多摩堤通りが昔の堤防沿いに行く手を変えるところにあります。対岸の川崎のビル群が大きく見えてきます。蛇行の頂点にあたるところが六郷橋。そこからは河口へ一直線。6Kmポイントはすぐそこです。

6Kmポイントは分かりずらいところにあります。東海道本線の上り鉄橋、下り鉄橋、京急鉄橋、第一京浜六郷橋が一点に集中してますが、東海道本線の上り線と下り線の間の堤防上に6Kmポイントがあります。

Dscf1475Dscf1474_1 堤防の上に上って、そばで見たい気分になりますが、橋の下にはいろいろな方がお休みになっています(ブルーのシートが見えますよねえ)。くれぐれもお邪魔をしないようにご覧ください。私はニャンコを起こしてしまい、ニャンコに睨まれてしまいました(^-^;

Dscf1476 さて、東海道本線に続き、京急の鉄橋を抜けてちょっと行くと第一京浜の六郷橋です。この六郷橋、橋の欄干に昔の六郷の渡しに使われていた渡し舟のモニュメントが設置されているのですが、すっかりそれを忘れてデジカメで撮ってくるのを忘れてしまいました(^-^; 
その代わり、橋のたもとに古くからの神社があったのでお参りしてきました。

Dscf1479 Dscf1478 その名も「止め天神」
八代将軍吉宗の乗った馬が暴走したときにこの天神様のご加護で事なきを得たという故事にちなんで「止め天神」と呼ばれているそうで、「落馬をしない=落ちない」プラス「学問の神様 天神様」ということで最強の組み合わせです。毎月25日の縁日では神前の木馬に乗って願をかけることもできるそうで、ご利益確実です。

Dscf1483 Dscf1489この天神様の境内から六郷橋の取り付け道路を隔てたところの公園に鉄 製の大きなアーチがあります。これこそ先代の六郷橋のアーチと親柱なのです。江戸時代は橋はなく渡し舟で行き来していましたが、明治になり木造の橋が架けられました。しかし、暴れ川の多摩川(六郷川)のため幾Dscf1488 Dscf1484 度となく流されました。やっと本格的な鉄橋が架けられたのが大正14年、このアーチの橋です。その後、交通量の増大にともない、昭和60年(1985)に架けられたのが今の六郷橋です。

六郷橋を過ぎると、多摩川の表情は川というよりも海に近くなります。いよいよ河口0.0Kmポイントへの旅もクライマックスです。続きはパート4へのお楽しみ。

「総集編」

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多摩川河口0.0Kmポイントへの旅~2

多摩川河口への旅、二子玉川を過ぎて16Km地点からパート2の始まりです。

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第三京浜のガードをくぐると、多摩堤通りが本当に堤の上を通るようになり、車の行き来が激しく、堤防の上を走るのが怖くなってきます。素直に堤防下の幅の広い土の道をはしりましょう。ただし、距離表示のポストは堤防の上に設置されていますので、16Kmポイントを見落とさないように注意してください。

Dscf1444 16Kmポイントのところから堤防を丘側におりて、堤防下の舗装道路をちょっといくと駐車場の角に「野毛の渡し跡」のてくたく石碑が建っています。ここも宇奈根と同じく、多摩川の流路変化により村が分断され、それを結ぶために終戦の頃まで渡し船があったそうです。結構大きな船だったらしく、荷車なども乗せたそうです。この角を左にちょっと入ると狛江で取水した多摩川の水を江戸時代の天領であった六郷(大田区あたり)に引き込む次太夫堀(六郷用水)が丸子川と名前を変えて流れています。

Dscf1446_1Dscf1222 さて、元の多摩堤に戻り、300mほど行くと小さな川が合流しています。これが用賀から流れてくる谷沢川。ここから500mほど遡れば、等々力渓谷です。とても23区内とは思えないような深山幽谷の気配です。等々力不動さんにこれからの道行の安全を願って、ちょっと寄り道してみても良いかもしれません。

Dscf1449 もうしばらく行くと15Kmポイントです。この近くには「東急ゴルフパーク多摩川」のクラブハウスがありますが、コース自体は川向こうの川崎側にあります。したがって、ゴルフパークのホームページにあるように渡し舟に乗って対岸に渡ります。残念ながら一般客は乗れないそうですが、実はこの渡しDscf1448船、昭和の始めごろまであった「等々力の渡し」とほぼ同じ位置だそうで す。ここも同じく多摩川流路変化のため等々力村が分断されたために江戸時代に設けられた渡しです。川崎側には今でも等々力の地名が残っています。ここの渡しは、現在のゴルフ場の船と同じくらいだったのでしょうか、あまり大きくはなかったそうです。

Dscf145014Kmポイントに向かいます。この辺りの堤防と崖線との間の平地は、今は住宅がびっしりですが、昭和の初めころにはカーネーションの温室が建ち並び「温室村」と呼ばれていました。バス停の名前でも 残っていますし、よく探すと今でも蘭などを栽培しているのでしょうか、鉄骨・ガラス屋根の事業用温室もいくつか残っています。

Dscf1452 Dscf1454 14Kmポイントからは川崎市の等々力競技場がよく見えます。等々力競技場一帯は多摩川の昔の蛇行の跡地で、今の地図を見ても、なんとなく昔の流路が目に浮かんできます。ここからは、これから向かう田園調布の亀甲山が間近に見えます。その手前には巨人軍の元練習グランド。花形満がスポーツカーを降りて「星君!」と叫んだシーンが思い出されます(^-^)

Dscf1455 この亀甲山の崖の縫うように次太夫堀(六郷用水)は流れていますが、今は歩道確保のために半分以上を歩道で覆い隠されていて、水が流れていることに気がつかない人も多いのではないでしょうか。
六郷(大田区)に灌漑用の水を送るなら、わざわざ狛江から苦労して堀を作らなくても、この辺から水を引けばいいと思われるかもしれませんが、上げ潮になるとこの辺まで海水が遡ってくるのです。したがって、この辺りで取水すると塩害で稲を枯らしてしまうため、わざわざ狛江から水を引いているのです。確かに田園調布に海獣の「たまちゃん」が出没するくらいですものね。そう考えると納得です。

Dscf1456 13Kmポイントは、ちょうど丸子橋の手前のあたりなのですが、交通量も多く、多摩川の崖も迫っていることもあり、どこにあるか分かりませんでした。ここでは、その脇の丘に登り、浅間神社にお参りして一休みしましょう。富士山を祀る神社で、多摩川の大パノラマです。私が訪れたときは七五三で賑わっていました。

Tamagawapanorama

5枚の写真をソフトで無理やりパノラマ化したので、丸子橋の奥がちょっと変ですがご容赦を。雰囲気は分かって(^-^)

Dscf1462 ここから新幹線の鉄橋をくぐり、500mほど行けば12Kmポイントです。だいたい半分くらいまで来ました。登戸あたりでは流れの速い瀬も見られましたが、海水が上がってくるだけあって、川幅も広く、ゆったりとした流れになり、多摩川の表情もずいぶん変わってきました。この続きはパート3でご紹介いたします。

「総集編」

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2006年11月 2日 (木)

とありえず、まだ渡れました

もしかしたら...と思った野川水道橋ですが、まだ今日は渡ることができました。

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川沿いの道路が工事のために片側通行になっていて、交通整理ために警備員のおじさんがいたので進捗状況を聞いてみると、橋の両側のくい打ちが終わっていないので、取り壊しはもう少し先だろうということでした。

新しい橋は世田谷区のサイトをみると、「契約金額=3億555万円 相手方=東急・新舘(とうきゅう・にいだて)建設共同企業体 工期=20年2月29日 橋長(きょうちょう)=43.4m(メートル)、幅員=9.5m(メートル)」ということで、2車線の立派な橋になると思われます。

自転車や歩行者が譲り合いながら渡っていたこの橋も自動車が行き交う橋になってしまうのですね。確かに便利にはなるでしょうが、ちょっぴり淋しい気になっているのは私だけでしょうか。

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2006年11月 1日 (水)

野川水道橋 その後

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先日、野川に架かる人道橋「野川水道橋」がまもなく取り壊され、新しい橋に架け替えられるというお話を紹介しましたが、いよいよのようです。

今日の帰宅ランでいつものように野川水道橋を渡ろうとしたところ、昨日まではなかった看板が... 

「架け替えにともない仮設橋をご利用ください」

橋のたもとにはショベルカーがおいてありました。

でも、今晩のところは問題なく通ることはできましたが、橋の真ん中のアーチに付いている照明は点灯していませんでした。もしかしたら、今日渡ったのが渡り納めになってしまうのかも! 明日の帰宅ランで通るのが怖いような、通らなければいけないような...

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