
河口から6Kmの六郷大橋を過ぎると多摩川はすっかり海の香りを漂わせています。多摩川河口への旅も最終章です。
昔はこんな木の橋だった六郷大橋を通り過ぎると、久々に有料給水ポイントがあります。多摩川下流では唯一と言っていいような川沿いのコンビニです。水分だけでなく昼食も調達できます。非常に貴重です。
しばらく行くと5Kmポイントがあります。実はこのポイント、対岸に必見スポットがあります。それが河港水門です。ちょっと見は、単なる水門なんですが、よ~く目を凝らしてみるといろんな飾りがついてそうで
す。これは、川崎市の名産だった桃・梨・葡萄をアレンジした飾りだそうです。1998年(平成10)年9月に国の有形文化財にも指定されています。この水門をめぐる"幻の大運河計画"についてはリンクをご覧ください。そして、さらに興味を持った方は実際にこの水門を造ってみましょう(^-^)
4Kmポイントの手前には六郷水門があります。この「郷」のマークがなんとなくレトロです。実はこの水門は、六郷用水の排水口に位置します。この旅のスタート地点である和泉多摩川の2Km上流から取水された次太夫堀(六郷用水)が、田畑の灌漑をしながら、流域の雑排水を多摩川へ排出する役目を負って多摩川に再び流れ入るポイントだったのです。
4Kmポイントからは干潟が見えます。多摩川は、もうすっかり海の表情です。汽水域といって海水と淡水の入り混じる水域ならではの生態系が発達しています。河川敷から干潟のすぐそばまで近づくことができます。すると、たくさんいる!いる!カニです。人影が見えるとサッサッと穴に隠れてしまいますが、しばらくじっとしていると1匹2匹と出てきます。
3Kmポイント手前から土の土手堤防からコンクリート護岸に変わります。ちょっと川面が見えにくくなります。3Kmポイントは大師橋を望むコンクリート堤防に埋め込まれています。河岸には、ヨシが生い茂り、ヨシキリなどの住処となっています。
河口まで2.5Km地点に架かるのが羽田と川崎大師を結ぶ大師橋。その昔は羽田の渡しがあったところです。先代の大師橋は片側2車線だったのですが、老朽化と交通量の増大に耐え切れず、昨年、現在の新しい橋にバトンタッチしました。斜張橋の美しい橋です。橋のたもとには羽田の渡しの由来と先代の橋の親柱が残されています。多摩川の最も下流にある渡しとして、かなり栄えたようで、相当大きな船で20~30人の人が乗れたということです。川崎大師詣での人達も多かったのでしょう。
さあ、これより下流には多摩川を渡る橋はありません(地下をもぐっている路はあるんですが...)。いよいよ河口が迫ってきました。大師橋を過ぎると2Kmポイントはすぐです(でも、大師橋の河口寄りの船溜りの堤防の赤レンガは要チェック!)。2Kmポイントも3Kmと同じくコンクリート堤防に埋め込まれています。
ここでは、下流域唯一と言ってもいい中州が見えます。ねずみがいっぱい繁殖したからねずみ島、と実に安直なネーミングではありますが、実はこのねずみ島、もとは梨畑(河港水門の飾りでわかりますよね。昔の川崎名産です)だったということです。この土地が、なぜに中州として残ったのかというと深~い訳があります。その訳を知りたい方はこちらをご覧ください。
ここから河口方面をみると、「来たなあ」という感慨に浸ることができます。川幅は広く、遠くに羽田空港に羽田空港に飛来する飛行機の姿も見えます。目指す0.0Kmポイントは赤白のツートンカラーも鮮やかな空港レーダー塔の500mほど先です。登戸の渡しから20Km以上走ってきた小旅行ももうすぐ終着です。
2Kmポイントをちょっと行くと羽田玉川弁財天があります。この弁天様は、もともと鈴木新田(今の羽田空港)に鎮座されていたのですが、進駐軍の接収によりこの地に引っ越してこられたものだそうです。「羽田七福いなり巡り」の別格として列せられています。この「羽田七福いなり巡り」ですが、「白魚稲荷」やら「鴎稲荷」やら思わず訪ねてみたくなるような名前のお稲荷さんがあります。のんびりと昔の江戸前漁村の羽田を思い浮かべながら歩いてみてもいいかもしれません。
ここでもうひとつ見ておきたいのが、堤防下の道の家の塀。塀といってもなんか違う。これこそ昭和初期の多摩川の堤防の名残なのです。六郷橋の
船溜りの赤レンガまでこの堤防が続いてさらに上流部まで残っているのです。閘門(堤防の切れ目:増水時には板をはめる)もしっかり残っているし、ところどころに階段も残っているのがいかにも堤防です。昔の景色が目に浮かぶようです。
もう少しいくと、フツーの人が多摩川の区切りと思っている弁天橋にでます。多摩川の分流である海老取川に架かる
この橋を渡れば、もう人家はありません。あるのは「羽田空港」だけ。確かに分流点には水死して流れ着いた人々の慰霊の社も建立されており、行き着くとこまで来た!という感じです(なんか心霊スポットっぽい)。でも、ここはまだ河口ではありません。多摩川河口から1.5Km地点なのです。
この地点は、もうひとつ意外なポイントでもあります。多摩川を渡る橋は、先ほどの大師橋が最後ですが、下をくぐるトンネルはあります。実は、この下を鉄道が走っているのです。JRの貨物線の羽田トンネルです。さらに下流に行けば、首都高湾岸線の海底トンネルがあります。
さて、新しくなった弁天橋を渡りましょう。欄干に江戸前海苔の作り方がレリーフになっていますので必見です。渡ったところには、有名な(?)赤鳥居があります。もともと空港が拡張される前から羽田にあった穴守稲荷神社の鳥居だったのですが、進駐軍にこの一帯が接収され、神社は現在の位置に引っ越したあと、この鳥居だけが取り残されました。その後、動かすと祟りがあ
るといわれ、羽田空港の駐車場の真ん中に建ち続けていた姿を覚えていらっしゃる方もいると思います。羽田拡張に伴い、ここに移設されたそうですが、「祟り」があるんじゃないかと工事の引き受け手がなかったようです。その工事に取り組んだゼネコンのプロジェクトX (^-^; はこちらをご覧ください。
今は、人の生活の匂いがまったくない羽田ですが、進駐軍に接収される前には鈴木新田と呼ばれた埋立地でした。 空港ができる前の鈴木新田は、夏は海水浴場、春は潮干狩りで賑わい、明治29年には鉱泉が発見され、穴守神社一帯は歓楽街として発展したそうです。とても今の風景からは想像できませんが、接収される前の集落の様子が鳥居のそばに張り出されています。確かにそこには人々の生活がありました。
普通の方はここで引き返すのですが、0.0Kmポイントを目指して走りましょう。空港へ向かうトンネルをくぐります。トンネルをくぐると、モノレールも地上にでてきます。この辺りが1Kmポイントなのですが、道は河岸から少々離れているので標柱があるのかどうか確認していません。
先ほどはるか彼方に見えた赤白の空港レーダー塔が近づいてきます。行き交う車は多いのですが、こんなところを歩いている人はまったくいませ
ん。少々心配になりますが、意を決して進みましょう。レーダー塔を過ぎると道路と河岸の間がコンクリートの広場のようになっています。ここから河岸の低い堤防に沿って走ります。いよいよです。
対岸の日鉄鋼管の建物の手前の河口(実は多摩運河)が真正面に来るような位置を目安に走っていくと、堤防にペンキで描かれた赤・黄の線が目に入ります。その線が描かれてある堤防の上面を見ると....
(下の写真をクリックしてください)

ついに到着しました! (旧)建設省公認の0.0Km地点です。
今までの標柱から比べるとなんとも工事の目印のようなペンキの印で拍子抜けしてしまいますが、確かに「0.0Km」の文字!
右岸も左岸も埋め立てが進み、ここが河口? と思われるかもしれませんが、こちらの報告書をご覧ください。昔の多摩川の航空写真が豊富にあり、確かにここが河口だったということがよくわかります。対岸の多摩運河が海と川の境目のなごりです。
確かに、遠くに東京湾横断トンネルの「風の塔」も望む芒洋としたこの景色をみると河口まで来たんだなあと感じます。
側を走るモノレールと遠くを進むコンテナ船、舞い降りる飛行機...日常とは違う世界が広がっています。走り始めた小田急鉄橋では、瀬となって流れていた多摩川も、ここでは東京湾に注ぐゆったりとした大河の趣です。23Kmにおよぶ多摩川河口0.0Kmポイントへの旅も終着です。
しかし、ここからどうやって帰るかって? こんなところで誰が乗り降りするのかというバス停がそばにありますので、それを使っても良いのですが、もうひと頑張りすれば天然温泉の銭湯が、大師橋を渡った対岸の川崎側にあります。川崎大師の裏手のほうにある「日の出おふろセンター」です。0.0Kmポイントから4Km弱ですが、淡黄色微濁の食塩泉の露天風呂があり朝9時からやっています。おふろセンター近くからは、川崎駅に頻繁にバスが出ています。
一日かけてのんびりと走るにはよいコースです。トイレや水場は河川敷のグランド用のものが頻繁にありますので安心です。ただし、夏場に走ると日陰がまったくありませんので、脱水症、熱中症には注意が必要。ぜひ一度、0.0Kmポイントを実際に見に行ってみてください。
ちなみに、この0.0Kmポイントの先に「-0.2Km」や「-0.4Km」ポイントもあるんです。
ぜひ忘れずにご覧ください。
<「総集編」>
<23~17Km><16~12Km><11~6Km><5~0.0Km>
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