21・22・23日と野川のランニングをお休みしていたので、もうアーチも撤去されてしまったのではないと思いながら、クリスマスイブの今日、走ってきました。アーチはまだ残っていましたが、なんだかヘン? 余分な鉄骨が取り払われているからだけではない違和感があります。
なんでだろう?
正面からの写真を撮ろうとして、あっ!
今までの位置とは違う!!
橋の向こう側に見えていた砧下浄水場に向かう道が見えず、住宅に向いているではありませんか。よーく見るとレールが敷いてあり、橋脚部分をジャッキアップして橋をそのままレールの上に載せて、下流側に10m以上平行移動させてありました。
そして、剥き出しになった橋脚の台座は粉々に取り壊しが進んでいて、コンクリートの残骸が岸辺に取り残されていました。相当しっかり作っていたらしく、取り壊しはたいへんなようです。
その様子を何枚か写真に撮っていたところ、とんでもないものを見つけてしまったのです。
なんと...無残な...
見つけなればよかった...
台座の脇のショベルカーのアームの先に見えますでしょうか?
大きな石の塊が...
見つけることができなかった多摩川側の親柱です。
2基とも台座の残骸とともに川岸に転げ落ちており、角も欠けた痛々しい姿をさらけ出していました。
まあ、銘板も取り外し、魂を抜いた親柱はすでに親柱ではなく、単なる石の塊であり、その大きさからして撤去の邪魔者以外の何者でもないのでしょう。
確かに二子橋や六郷橋、大師橋とは比べ物にならないくらいの小さな橋ですが、生活に密着した趣のある橋だっただけに親柱だけでもモニュメントのように残してあげたかったです。
こうやって、お金では買えない時間の重みというのものをいとも簡単に捨ててきたのでしょうねえ、この国は...
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