旅行・地域
2025年3月 1日 (土)
2017年4月24日 (月)
都筑橘樹 酉年地蔵尊霊場巡り 巡礼ラン
12年に一度の特別御開帳、都筑橘樹 酉年地蔵尊霊場巡りの巡礼ランに行ってきました。
最初はオヤジひとりで黙々と修行のように走ることになるかと思っていましたが、思いもかけず6人ものロゲインのお仲間にご一緒していただき、華やかに賑やかに回ることができました(もっとも最後の10Kmくらいは疲れ果てて口数もすくなりましたが(^_^;)
今までロゲインのチェックポイントにしたことはあるものの、常に扉が閉まっていて、今回初めてお地蔵様を直接拝むことができたお堂もいくつかあり、貴重な経験でした。
お地蔵様の手に結ばれた五色の糸がだんだん太くなり、お堂の前に立てられた回向柱に巻きつけられるころには太い綱になっています。この綱に触れるとお地蔵様に直接願いが届くと言われています。多くのノボリとともに普段のお寺とは違った華やかさに満ちています。
各霊場では地元の婦人会の方々がご接待をしてくれていて、お茶やお菓子のエイドステーション代わりです。走って回っているというと皆さん一様に驚かれて(呆れて?)いましたが...
ご接待でお寺の方や地元の方とのんびりお話をしていたら時間が押してしまい、閉門の17時が迫ってきたこともあり、日吉方面の4箇所は次回ということにしてショートカット。8時間近くかけて42Kmののんびり巡礼ランでした。
途中、オリエンテーリングやランニング仲間のサプライズ応援があり嬉しかったです。ご一緒していただいた皆さんすべてにお地蔵様のご加護がありますように。
オンカーカーカビサンマエイソワカ
(これ、お地蔵様の御真言(お名前)です。唱えてお参りします)
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2013年12月30日 (月)
神隠
1/5の横浜シティロゲインの試走のお手伝いで港北区を4時間みっちり走ってきました。
試走なんで、あまり詳しく書くわけにはいかないのですが、ロゲインとは関係ないところで本日見つけてきた面白ポイントがこの画像。ちなみに湯婆婆はいません、念のため(^_^)
「神隠」というバス停もあり、このあたりの古い地名のようです。
ちょこちょこっとググってみると、なんとまあ、島原の乱に通じる歴史ある地名だそうです。
島原の乱の後、その責任を取らされ島原の藩がお取り潰しとなり、その家臣が浪人となり、この地に流れてきて百姓となったそうな。この地は丘陵の山林地帯であったので、事情により他から移って来た者ががひそかに暮らすのに適した土地であり、そのことを移って来た人達は『神様が隠してくれている』と感謝し暮らしていた事から、「神隠」と言う地名がついたという...
この場所、第三京浜の都筑ICの近くで、尾根・沢が入り組んでおり、今でも森や荒れ地が残っているようなところで、その昔は「山人」が人知れず生活を営んでいてもおかしくないようなところです。島原藩の浪人はともかく、何らかの事情で隠れ住まなければならない人たちにとって、神様に守られた安住の地だったのかもしれません。
1/20,000地形図:小机(明治39年測図41年制版)
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2012年11月17日 (土)
渋谷「神泉」駅
井の頭線が渋谷駅を出発してすぐに入ったトンネルを出たところにあるのが「神泉」駅。あまりに渋谷から近いので、地元の人以外はなかなか降りことがない駅かもしれません。
「しんせん」と読みますが、神の泉ということで、以前から気になっていたところです。地形的に宇田川の短い支流の沢の奥まったところですので、泉が湧いていて神社でもありそうな地名ですが、今の地図を見ると神社はありそうにない。ところが、ひょんなことから明治の終わりの地図を見る機会があり、なにげに神泉あたりを見てみると...
「弘法湯」の文字が...!
(時代が時代ですので文字の並びは逆ですが)
渋谷に温泉があった!
さくさくと調べてみるとホントにあったようです。
江戸時代から弘法大師にゆかりの伝説がある共同浴場があったそうです。明治時代には渋谷の奥座敷的な三業地として栄え、神泉館という旅館もありました。
温泉ではなく冷泉だったようですが、今の日帰り温泉のハシリのようなところだったのでしょう。それ相応の賑わいであったようです。今はそんな面影はまったくありませんが、ただひとつ伝えるのがトップの写真にも写り込んでいるこの石碑。
「右 神泉湯道」「施主 青山北町二丁目 石屋勝五郎 明治十九年八月廿一日」と彫られています。石屋勝五郎とは今の青山霊園の石屋の老舗で今も東急グループの一員として連綿と続いています。そんな将軍家御用のカリスマ石屋の作だけに120年の年月を感じさせないくらいにしっかりと彫りが残っています。
共同浴場の弘法湯は銭湯として1979年まで残っていたそうです。ということは、私が大学への通学で渋谷を通過していた頃には、まだ残っていたわけで、なんとも惜しいことをしました。
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2012年5月 5日 (土)
2010年7月18日 (日)
妙寿寺の割れ鐘の故郷「猿江」
腰に違和感、走るのはぐっと我慢。
そこで、今日は前から行ってみたかった江東区猿江へ。
実は、私のブログ、毎年6月から7月にかけて「妙寿寺の割れ鐘」というキーワードでアクセスが急増します。烏山寺町の妙寿寺に関東大震災のときに火炎に包まれて割れた鐘があるのですが、どうもそれが某私立中学の地元研究の題材になっているらしいのです。
見学レポートをまとめるのにインターネットでちょこちょこと(^_^)という寸法みたいです。
この妙寿寺というお寺、もともとは江東区(そのころは深川区)の猿江にあって、隣が東京瓦斯会社(今の東京ガスですね)の工場。大震災でその工場の大火災で壊滅的被害を受けて、烏山に引っ越してきたという経緯があります。私が亀戸に勤めていたとき、昼休みに走って往復していた猿江の恩賜公園のすぐそばということもあり、割れ鐘のあった猿江の地に実際にいってみたいとずっと思っていました(中学生の諸君、フィールドワークというのはここまでやるのだよ(^_^)
最初に訪れたのは深川の図書館(ここは岩崎弥太郎が賓客をもてなすために没落大名の敷地を買い漁って作った大庭園の跡地ぜよ)へ。江戸から明治、震災前の大正、妙寿寺移転後の昭和までの古地図を照らし合わせて、古の深川・猿江の光景をイメージ。今の地図に江戸時代の地図を重ね合わせたのが上のカラフルな地図。左の白黒の地図は関東大震災直前の大正時代のものです。確かに妙寿寺の東隣は工場であることがわかりますし、今の猿江神社の道路を挟んだ北側一帯が妙寿寺の境内だということが分かりました。
深川区史や江東区史をとっかかりにいろいろな資料を
引っ張り出すと、割れ鐘は思いのほかお寺の近くで鋳造されていたことが分かりました。おまけに豪徳寺にもそこで鋳造された梵鐘が、九品仏には茶釜があることも判明。意外と繋がり深いです、世田谷と猿江。
今度は豪徳寺と九品仏にその梵鐘や茶釜を見せてもらいに行きたいと思っています。
そうそう図書館で涼んでもいられないので(^_^; 現地に移動。
暑い...(~_~;;;;
猿江の地名の起こりとなった猿江神社に詣でると、裏手(北側)の道路の向こう側に小さな祠。説明板を見ると、なんとその管理はいまでも烏山の妙寿寺が行っているのです。その昔、境内にあったこの祠も一緒に烏山に移転しようとしたところ、関わる人が次々に亡くなり、その祠だけはその場所に残したという...思わずお賽銭を上げて、お線香を手向けてきました。
大火災を起こした工場はマンションに変わってはいるものの、その敷地の一部には東京ガスの営業所や変圧所があったりして、土地のロゴスを感じさせます。妙寿寺の面影はまったくありませんが、近くの芭蕉が愛でた五本松を思い
浮かべて小名木川の橋から猿江町を眺めると、畑のなかに点在する大名の下屋敷と長屋の建ち並ぶ川沿いにこんもりとした境内の森の風景から、日本の明治の近代化を支えたセメント工場や瓦斯製造所、鉄鋼所などの工場が建ち並ぶ小名木川沿いの風景、さらに震災で燃え盛るガス工場や死者累々の川面まで浮かんでくる感じです。
さて、ここで、資料探しでこれを読んでいる中学生の皆さんに問題です。
1.関東大震災のときに火災に見舞われた妙寿寺ですが、コールタールによる猛火と割れ鐘の説明板には書かれています。なぜ、隣の工場にコールタールがいっぱいあったのでしょう? 現代はガスというと液化天然ガスが主流ですが、そのころのガスはどのように作っていたのでしょうか?
2.東京瓦斯会社(今の東京ガスです)の猿江瓦斯製造所ができたのは明治31年11月です。急増するガスの需要に応じるために新たに作られた製造所ですが、その頃の家庭でガスはどんな用途に最も多く使われていたでしょうか?
3.猿江瓦斯製造所の跡地はマンション・住宅やスポーツ施設などになっていて、2001年まではあるスポーツチームのメイン練習場でもありました。そのチームの名前はなんでしょう?
4.割れ鐘を造った釜六は、原料や製品の運搬に便利なように川(堀)のそばで鋳物を作っていましたので、その川は釜屋堀と呼ばれていました。今はその川を釜屋堀と呼ぶことはありませんが、公園の名前や通りの名前に「釜屋堀」の名前は残っています。さて、この川は今はなんと呼ばれているでしょう。
5.釜六の鋳物工場は明治になり廃業しますが、その跡地には日本の近代化のために大きな役割を果たした工場ができました。それは明治の実業家 渋沢栄一が設立した会社のひとつですが、どんなものを作っていた工場でしょう?
これらは、私が現地で見て、調べて知ったことばかりです。
先生と一緒に考えてね(^_^)
PS.ここまで読んでくれた中学生の皆さんには、余計なお世話かもしれないけれど、このページも読んで欲しいなあと野川のカルガモおとーさんは思っています。良かったら見てみてください。
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2010年2月20日 (土)
2009年7月 7日 (火)
鳥取の投入堂に行ってきました
ひょんなことから鳥取のマラソン大会に出場することになり、せっかくだから名所を見て行きたい、でも、鳥取イコール砂丘だけじゃつまらない。ということで、探したところ、ありました! 野生派の我が家にピッタリの観光名所。
断崖絶壁の横穴にどうやって作ったのかお堂がはまっているという三徳山三佛寺の投入堂です。国宝です。しかし、観光気分で行ってはいけません。あくまで修行の山!
入山受付では厳しい靴のチェックがあり、たとえ運動靴であったとしても、ちょっとでも磨り減っていたらアウト! 500円の藁草履を買って登らなければなりません(私もちょっと古いトレイルシューズだったのですが、もうちょっとでアウトと言われそうなと
ころでした)。なにしろ、この10年間で3人の方が滑落してお亡くなりになっている参拝路です。俗なお寺なら参拝路を整備するところですが、さすが修験道のお寺です。見物ではなく、あくまで「修行」の道ということで、最低限の整備しかしていません。
と脅かしていますが、山をやっていた人なら大したことはありません。ここ以上にシビアな登山道は3000m級はもちろん、2000m級でも珍しくありません。しかし、「国宝をちょっと見物」気分ではたどり着けないことは事実です。物見遊山ではなく、写真の「六根清浄」のたすきをつけて修行のつもりで登るところです。
苦労して途中の文殊堂までいくと、吹き出ていた汗がさっと引くような、こんな風景を楽しめます。
「nageiredou.wmv」をダウンロード
この動画の最後に出てくる岩場をクサリ一本を頼りによじ登らなければ文殊堂にたどり着けません。
そして、最後の最後にたどりついたところで目にするのが、この投入堂。
一見の価値はあります。
ここまでの道行を振り返ると、1000年前にどうやって資材を運びこんだのだろうと驚きを禁じえません。
でも、本当に大変なのはこれから。
下りの道行きのほうがはるかに危険です。
お亡くなりになったかたも下山時とか...
気をつけて麓まで下ると、美味しいトチ餅やこくのあるお豆腐が待っています。こちらも美味です。ぜひご賞味あれ。
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2008年7月21日 (月)
妙寿寺の割れ鐘
この数日間、このブログへのアクセスが「妙寿寺 割れ鐘」という検索ワードで集中していてビックリ。妙寿寺という名前にまったく記憶にありません。まして「割れ鐘」? どの記事にヒットしているのかと思ったら、烏山寺町の高源院の池の記事でした。その記事に対するこのブログの常連さんのコメントの中に「妙寿寺の割れ鐘」という言葉があったんですねえ。
きっと、小学校か中学校の地域研究の課題になったかして、インターネット調べでヒットしたのかもしれません。インターネットでちょこちょこではなく、図書館や現地に行って調べるもんだぞと親に言われながらも、我が家の息子や娘もよくやっていましたが...(^_^;
でも、ちょっと気になりましたので、高源院の蓮の花を見がてらちょっと早起きして烏山寺町まで行ってきました。捻挫した足はまだまだ本調子ではありません。でも、テーピングでガチガチに固めて歩く程度のスピードでのんびりジョグでしたが、久々の走る汗は違いますね。気持ちいい!
目指す妙寿寺は寺町でも大きな敷地のお寺です。もともとは谷中清水本町において妙感寺として始まり、本所猿江村に移転、妙情寺と名前を変え、さらに猿江稲荷神社の別当となり(神仏習合の時代です)寺号を妙寿寺と改めたということです(明治時代の地図)。その後の関東大震災で、本尊を残して全て焼失という悲運に見舞われ、震災の翌年にここ烏山に移転してきたということです。猿江には今も猿江神社が鎮座しており、そこに隣接して妙寿寺もあったということです。でも、今はマンションが建ち並び、とても大震災のころの工場が建ち並ぶ本所猿江の雰囲気は少なくなっています。
今の妙寿寺は閑静な烏山寺町のなかでも落ち着いた長い参道が印象深いお寺。客殿は明治期鍋島候爵邸で趣のある建物です。「割れ鐘」はその客殿の正面の覆屋根の下にありました。由来が額に書かれていますが、猿江の妙寿寺の隣はガス会社だったらしく、大震災のときにその工場から流れ出したコールタールなどによる猛火にお寺が包まれ、この鐘もこのように大きな穴があくほどの壮絶な被害だったようです。
この鐘が作られたのは享保4年(1719)。作った鋳物師は江戸時代、鋳物師の里である辻村(現在の栗東市辻:日本最初の銅銭和銅開珎が鋳造されたところといわれています)出身で深川に出店した「太田近江」こと太田六右衛門(釜六)。幕府の「御成先鍋釜御用」を享保2年に命じられ、辻村を代表する鋳物師として、江戸時代後期の長者番付にもたびたび現れるというブランドデザイナーです。浅草寺の時の鐘と呼ばれる梵鐘も彼の工房から生み出されました。そんな絶頂期の売れっ子人気デザイナーの梵鐘の寄進を受けるくらいに信仰を集めたお寺だったということです。
他にもいろいろ知ったことありましたが、それはまたの機会に(特に、割れ鐘のとなりに大きく立派な五輪塔があったのですが、それが津軽の弘前藩のお殿様のものであるということも不思議。また、鐘の寄進者が大阪の人というのも解せません)。ということで、意外なきっかけで意外な勉強をさせていただいた一日でした。
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2008年5月25日 (日)
仙川「niwa-coya」 林真理 水彩画展
仙川から成城にかけての坂道ジョギングコースの追加調べでネットサーフィンしていたら、思わず目を引いた素敵な水彩画...「これ、若葉小の坂だよ~」、「あっ、あそこのお店じゃん」 普段、何気なく通り過ぎている風景を切り取った絵なのですが、とっても新鮮です。
この絵を描いたのは林真理さんという仙川にお住まいの絵描きさん。
生活に密着した小物類のデザインから大手の企業・デーパートや新聞社のカレンダーやイラストも手がけている方と知って、思わず納得。その林真理さんの展覧会が仙川のカフェギャラリー niwa-coyaで6/1まで開かれています。
またこのお店がいいんです。
桐朋学園の裏手、普通の住宅街の中に溶け込むようにあるギャラリーです。とても自然な感じなお庭も好感が持てます(実は日本の風土でこういうヨーロッパ感覚の植生を維持するのはとても手間のかかるものです)。オーナーのこだわりが感じられます。
さて、肝心の絵のほうですが、期待に違わず素晴しいものでした。どの絵も一瞬の風景なのですが「動き」が感じられます。ネットで見るのとはまったく違います。実際に何回となくトレー
ニングで走っている場所だけに若葉の坂の絵なんか良かったですねえ。私が走るのは休日や夜。坂めぐりの写真を撮りながらも、小学生や中学生が遊びながら通る姿を想像していたのですが、そのイメージどおり、いやそれ以上に活き活きとした風景が目の前にありました。
お昼時だったので、店内も混んでいてじっくりとというわけにはいきませんでしたが、応対してくれたのが作者ご本人。とても気さくで笑顔の素敵な、なんだか昔から知っている人に思えてしまう雰囲気を持った女性でした。
実はもうひとつのお目当てが、林真理さんのご主人が作られた仙川のイラストマップ。「仙川通と小学生と猫しか知らない」と銘打つだけあって、たぶんお子さんまで総動員されて調べたものだと思います(^-^) 狛江市史や世田谷区史は多少調べたことがあるのですが、調布はまだ手付かずだったので、マップを拝見すると知らないことばかりでした。B4版1枚200円、真理さんの絵も入ったA3バージョンが300円で展覧会後もniwa-koyaで販売されるそうです。これを片手に仙川をフラフラと走り回るのも楽しそうです。(著作権のこともありますので、相当に解像度を落としてあります。雰囲気だけでも感じてください)
数十年ぶりに水彩画を描いてみたいなあと思った午後でした。成城の坂道をモチーフにしてもいいかも...ブログを見ると体育会系ですが、実は幼稚園の頃には絵を習っていた私です(^-^; 今じゃ笑っちゃうほどヘタなんでしょうねえ。
そうそう、心残りはniwa-koya手作りスモークチキンサンドを食べ損ねたこと(^-^;
今度は土曜のブランチ的に少々早めに行ってみましょう。
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